2007年03月15日
頭がボーッとしています
今朝はいつもより1時間遅く起床。
頭がボーッとしています。<のみすぎた・・・>
実は、四半世紀にわたってお付き合いをしている方々と久しぶりに会食しました。
その中に一人の長老がおられて、むかしむかし筆者に営業のイロハを教えてくれた師匠です。
あと数年で古希を迎える、とは思えないパワーのある方です。
このブログを読んでいたら「俺を年寄りあつかいするな!」と絶対言いそうです。
筆者も日々研鑚しているつもりなのですが、会って話をするといつも一段も二段も高い見地から冷静で元気のわく話をされるのです。
こういう付き合いは大切にしていきたいものです。
さあ、頭はボーッとしていますが今日も頑張ろう!
投稿者 messiah : 07:42 | コメント (0) | トラックバック
2007年03月08日
はやく直します
このブログを読んでくださっている“サンサンてるよ”さんからコメントをいただきました。(最近のコメント欄をご参照)
「若い」とほめられましたが、気温の変化くらいで風邪を引いているようではいけません。
昨日は薬を飲んでテレビも見ずに早めに就寝。
そして目覚ましが鳴る前に起床。
「おっ、今日は調子がよさそう。喉もいたくないし鼻水もおさまった」
さあ、朝からネットサーフィンじゃあ!と意気込んでおりました。
ところがです。しばらくしてから咳きがゴホゴホ。。。あかん*o*
どうも悪い方向に向かっている。
今日一日で気力で直して見せましょう!
“サンサンてるよ”さんもノドの腫れ、はやくなおしてください。
今日も中味のないエントリーにつきあっていただき...すみません。
はやく直します。以上
投稿者 messiah : 07:24 | コメント (0) | トラックバック
2007年03月07日
ちょっとマズいことに。。。ならないようにします
今朝は寝覚めが悪く5時半に起床。(どこがワルいのか!というツッコミがはいる?)
日常は5時に起きていますので、30分も時間を無駄にしてしまいました。
おかげで朝のネットサーフィン(死語復活)もできていません。今日はあまりやる気も起きない。
ちょっとマズいことに、風邪の兆候が。。。(鼻水)
頭もボッーとしています。(これはいつものこと)
今日は暖かい格好をして過ごします。
さて、話は変わりますが、
このブログは今年大きく変わります。(大きなことを言ってしまった^_^; なのに字は小さいなあ)
でもその前に、身近なことから--->風邪の症状をストップさせなきゃ...
中味のないエントリーにおつきあいいただき...すみません。
今日は以上!
投稿者 messiah : 07:36 | コメント (2) | トラックバック
2007年03月04日
エスカレーターは下りを優先に
春のゲレンデから早朝に帰宅。そして昼前まで爆睡。
行きも帰りも夜行バスの旅。(0泊3日。こういうのが好きなんです。年のわりに)
そして、案の定、両足は筋肉痛でパンパン。
階段を上る時に太ももを上げるのが辛い...
しかし、もっと辛いのは階段を下りる時。
太ももの筋肉を全部使って、足にかかる体重の衝撃を和らげるために筋肉が緊張します。
その瞬間!あ・い・て・て・・・
でも、これで1つ発見したことがあります。(とっくにご存知の方もおられるでしょうが)
普通に歩いているよりも階段を下りる時に、もっとも足の筋肉が鍛えられるということが。
足を鍛えたい方は、階段を下りるのが一番です。
反対に、足の弱い方、膝の弱い方のためには「下りエスカレーター」が大切です。
上りと下りのどちらか1つしか設置できないスペースであれば...ぜひ下りを優先に。
投稿者 messiah : 17:00 | コメント (0) | トラックバック
2007年03月03日
ちょっと、行ってきます
日頃の運動不足がどんな厳しい現実を叩きつけてくれるかを楽しみに、ちょっと遠方のゲレンデに行ってきます。
したがって、(フライングですが)明日のエントリー(記事)を投稿しておきます。
こんな時に、携帯電話からエントリーを投稿できる機能(モブログ)があればベターなんですが、あいにくこのブログにはその機能がありません。(実はやれないことはないが現在は実装していない)
そんなわけで、“ひなまつり”に1日早くワープです。
左肩が凝っていたのが右肩に移動して、「肩凝り」のつらさが分かる年齢になりました。
つい最近まで“凝る”という意味が理解できなかったのですが。。。
さて、その凝った肩ではげしい運動に絶えられるのか?
それよりも足腰は持つのか?
考えれば、考えるほど...気が滅入ってきます。
いやいや、ここは気合で!
とにかく、行ってきます。
投稿者 messiah : 00:00 | コメント (0) | トラックバック
2007年01月06日
片目はつらい
二日ほど前から、目(下瞼)が少し腫れてきて、いわゆる“ものもらい”が出来てしまいました。(下は初めて。上よりも目が開けにくい)
関西では“めばちこ”といいますが、これを標準語だと思っていたのが、関東にちょくちょく行くようになってから関西弁だと知ったのは今から25年前の話です。(そんな古い記憶だけは残っている年になりました。昨日のお昼ご飯のメニューは忘れているのに...)
“ものもらい”の方は分かりやすいが、“めばちこ”はどこからきた言葉でしょう?
目薬のロート製薬のホームページに「三重大学教育学部(余 健 助教授)の解説から」として語源が紹介してありました。
近畿地方(京都府・滋賀県を除く)で高年層から若年層まで多く使用されている「めばちこ」を取り上げます。 まず語源については、「メ(目)+ハチ(こじき)+コ(接尾辞)」に由来するという説や「目をパチパチする」ことに由来するという説等ありますが、はっきりしたことはわかっていません。 この地域では、メディアからの影響(「ものもらい」の影響)をほとんど受けておらず、高年層、中年層、若年層の各世代間におけるコミュニケーションを通じた直接的な接触により、地域語形の「めばちこ」が伝播され、且つ約50年前の調査と比べ周辺地域(京都府の若年層や岡山県の全年層)にもこの語形の勢力が拡大されています。 一方、近畿地方でも京都府や滋賀県では、「目」+「いぼ」が語源だと考えられる「めいぼ」の使用が多く確認されます。そしてテレビ等のメディアが普及するずっと以前、この「めいぼ」が地伝いに伝播していく過程で、東海地方の岐阜県・愛知県では「めんぼ」が生まれ、三重県や中国・四国地方(広島県・香川県等)では省略形の「めぼ」が生まれたもの考えられます。 |
今日のエントリーは片目をつぶって打っています。
この後、眼科に行って直してきます。今日はこれまで!
投稿者 messiah : 08:38 | コメント (0) | トラックバック
2006年02月15日
あるはずのものがない、という不思議な感覚
最近、花粉症の人が増えてきて、まだ発症していない筆者には、どうしても花粉症の人の気持ちが理解できない。
別段、鼻が鈍感なわけではないが、受け入れる許容範囲が広いのだろう、と自分で納得しています。
ところで、花粉症の人は臭いにも敏感なのだろうか?と考えたことがありました。
そんな昨日のこと、ある用事で訪問したお宅での体験...
そのお宅は、空気の澄んだ郊外の環境のいい場所にあり、そこにお邪魔して数時間滞在させて頂いたのです。
暫らくして、トイレをお借りして中に入った時に、何か変な感覚を覚えました。
その時は気に留めなかったのですが、2回目にトイレに行った時(よく行くね)、変な感覚の原因がわかりました。
"臭い"がしないのです。トイレだけではありません。玄関も、部屋も、どこも、ここも...
通常、個室になっている場所は、周りの空気がいくら澄んでいても、その場所では臭いは篭る(こもる)ものです。
空気の流れが遮断されて澱んでくるから当然、独特の臭いが生まれます。
会議室でも、待合室でも、車の中でも、映画館でも、病室でも...
さて、「臭いがない」という不思議なお宅のタネ明かし。。。
それは、木炭を液状にした塗料を、リフォームした時に壁や天井に塗り込めてあったからです。
これは驚き!
もちろん、木炭(いわゆる炭)は黒い色をしているので、内壁に塗った上にクロスを貼ったりすれば明るい部屋になります。
そのお宅は、天井だけ木炭塗料を塗ったまま(塗りっぱなし)でしたが、それはそれで、周りの壁の明るいアイボリーカラーとのコントラストが見事に調和がとれていました。
そんな不思議な感覚を味わった後で、帰り際にお土産に頂いたのが、写真の「木炭の犬」
液体だから何にでも炭が塗れてしまう。
パソコンの近くに設置しておくと、有害な電磁波をカットしてくれるそうなので、さっそくセットしました。
"ワンちゃん"の周りからオーラが出ているの、わかりますか?
投稿者 messiah : 09:28 | コメント (2) | トラックバック
2005年12月11日
ある寒い朝の出来事 その2
広島、栃木の小学1年生の殺害事件に追い討ちをかけるかのごとく、京都・宇治では小学6年生の女児が塾の講師に殺害されるという残忍な事件が起こり、気が滅入る毎日が続いています。
ある朝、自宅の玄関前を掃除していると近所の小学校の1年生の女の子二人が登校中に何やら寄り道をしていました。
道路の溝に、赤・黄・黄緑...と色とりどりの枯葉が落ちて溜まっていました。
私はそれを金バサミでつまんでゴミ袋に入れていたのですが、小学生の二人はその枯葉の中から何かを見つけては摘み出していました。
幼い子供たちは間違いなく、外で知らない人に声をかけられたら「気をつける」ように言われているとは思いましたが、あまりにも無邪気なその姿を見て声をかけてしまいました。
「何をさがしてるの?」
すると子供たちは何の抵抗もなく、合わせていた掌(てのひら)を広げて見せてくれました。
身体の大きい方の子供の掌から小さくて可愛いドングリが10個ほど出てきました。もう一人の小柄な子の掌には3個のドングリがありました。
「たくさん見つかったネ!」(ニッコリ)
「うん」、「うん」(二人共明るく元気な返事)
その後も二人はドングリ探しに余念がありません。道の端に寄ったまま溝の中にあるドングリを探しながら学校に少しずつ向かって行きました。
おいおい、あんまりドングリばかり探していると学校におくれるぞ、と言いたいのをグッと押し殺して後姿を見送りました。
子供たちは自分の感性に従って見たままに、今を生きているんだ。
時代が移り変わっても子供の純粋さは少しも変らないではないか。(変ったのは大人だけか)
子供に罪はない。問題が大人にある事は疑う余地はない。
純粋な子供もやがて大人になり社会に出て汚染されていく時が来る...だが、希望に膨らんだ純粋な命を身勝手に奪う者は許してはならない。
不幸な事件が二度と起こらないように祈りたいし、不幸な事件を起こさない環境作りに微力を尽くしていかねばならない。
そんな事を思った、ある寒い日の朝でした。
投稿者 messiah : 13:13 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月06日
ある寒い朝の出来事
昨日の朝のこと、私は自転車で事務所に向かっていました。(寒かったア。今年一番かも)
後1つ角を曲がれば到着する所の手前まで来て、小学生5~6人の集団とすれ違ったのでした。
上は高学年の大きな女の子、下は1年生くらいの男の子を含む男児・女児たち。(集団登校していたのです)
朝ということもありましたが、(いつもの如く)頭の中もボォーとしていて思考力ほとんどゼロみたいな状態で最終コーナーを右折しました。
すると、何かが目に入った。青い色をした何かが......
道の真ん中に落ちている。
自転車に乗りながら(つまり、前に進みながら)、その青い物体に少し注目してみたのです。
何となくそれは、折りたたみ傘の袋のような気がしました。
しかし、さらに注目するとその袋には動物の絵が書かれていました。
ペダルを踏む私の足は慣性の法則でタイヤを回し続け、自転車は前進していきます。発見して3秒後には角を曲がってさらに10mも行き過ぎていました。
「通行人の誰か落としていったようだなア(お気の毒に...)」
「まだ新しい袋だったけれど、何か動物の絵が書いてあったよなア」
「動物の絵ということは...もしかすると子供が落としたということかなア?」
「子供というと。。。ン!」
随分時間が経って、自転車を止めて振り返りました。
そこにはあの青い物体がありました。
私は昔から変な性格の持ち主で、自分が仕事中であっても、思いついたら反射的に別の行動をしてしまう。おまけにその速度が異常に速い。(その代わりに、なかなか思いつかない頭をしています:ここは笑うところです)
「かなりの高い確率で、さっきすれ違った小学生の持ち物に違いないぞォ」
そして、自転車のペダルを踏みこんで一気にギア(はないが)をトップに入れた!
「今、追いつけば、小学生は助かる」(そ、そんな...オーバーなア)
私の気力は最高潮に達したのでした。
青い物体を手にとってみると、かさ袋でもない、お弁当の袋でもない、それは上履きを入れる靴袋(ほとんど新品)で、動物ではなく可愛い男の子のアップリケが貼ってありました。
「小学生の持ち物に違いはないけれど、さっきすれ違った子供のものかどうかはわからない。しかし、その可能性もまた低いとは言えない」なんてシャーロック・ホームズばりに推理しながら彼らが行ったであろう方向を追いかけたのでした。
しかし、角を曲がっても小学生の姿はない。
「あぁ、判断が遅かったかア...」
次の角を曲がってみた。
10mほど先に集団がまだいた。「やった!」
ここからが難しいのです。今の時代は特に...
怪しい男から声をかけられた時の対処を、学校でも家庭でも昨今の子供は教え込まれている。
その怪しい男とは、”今の私に他ならない”ことを認識した上で行動しなければいけないのです。
先ずあまり近づかないこと。
出来るだけ優しいそうな顔を作って、これまた、優しい声で話し掛けます。(それがかえって怪しいって?:わかってますよ)
「ボクたちぃ...これ落とさなかったぁ♪」(靴袋のアップリケが見えるように前に差し出しながら)
この瞬間、集団の子供たちが互いに目を見合わせて戸惑った表情になったのを私は見落としませんでした。
「あぁ...今、どうしたらいいかドキドキしているだろうナァ」(...と心の中で私つぶやく)
ここで一斉に逃げられたら私は逮捕されるかも知れないと思ったので、さらに最高の優しい顔と声で言いました。
「あ、やっぱりそうだったんだ。......ハイ」とさらに前に差し出しました。
その時、1年か2年生と思われる男児が恐る恐るこちらに歩いてきたのです。
子供がわずかながら心を開いた瞬間でした。(この瞬間に私の仕事は完了したのでした)
差し出した靴袋をこわごわと受け取る男児。
私は次の瞬間を待ちます。。。
男児は消え入るような小さな声で「...すみません」と言ってこちらの顔を見ました。
この時も、死力を振り絞って最高の笑顔を作る私。(シンドイから早く行ってくれぇ~と思いながら)
走り去るように集団に戻っていく少年。
その後に彼らに掛ける言葉を捜す私だが...出てこない。
「怪しいオジサンに声をかけられたら気をつけるんだよ」とは言えないもんね。
広島、栃木で小学校1年生の女児が相次いで殺害される凶悪な事件が発生しています。
学校も親も子供の身の安全を守るために奔走しています。セキュリティグッズが飛ぶように売れている。
「どうしてこんな危険な世の中に...」と思ってしまいます。
「人に親切にする事が大切だ」という教育や教訓は、現代社会では優先されないどころか否定すらされていく感があり、新しい世紀が始まった途端に、モラルは世紀末を迎えてしまっているようにも思えます。
親切という行為が、周りから異様な目で見られたり、周りへの配慮で神経をすり減らすことが少なくともあってはいけない。
それを痛感した寒い朝の出来事でした。
投稿者 messiah : 10:06 | コメント (0) | トラックバック
2005年11月04日
インターネットにアップした情報は随時更新するべき
昨日、この「出たとこ勝@負ログ」の初期の頃に投稿した記事にトラックバックを受信しました。
「ブログふんせんき」と題して、このページの左サイドバーに常設している特集があります。
サーバーの役割も知らない、HTMLも理解していない初心者のワタシが、自宅サーバーを構築してMovable Type(ムーバブルタイプ)というブログ作成ツールとMySQL(マイエスキューエル)というデータベースソフトを組み合わせて、ブログを公開するまでの悪戦苦闘の記録を27話連続シリーズとして投稿したものです。
その中の16話”MySQLのインストールと設定(後編)”に、お気楽極楽スクリプトさんからトラックバックを頂きました。
少し前にも同じく「ブログ奮戦記」の記事に、Movable Type活用情報サイトさんからトラックバックとコメントを頂いたことがあり、その時はちょっと驚きました。
というのも、1年前に投稿した記事が今になって発掘されることがあるという事実にです。
今回もそうですが、古くなった記事だから情報価値が下がっていくというのではなく、検索エンジンを使って情報収集することが主流となった時代では、新旧に関らず常に平等に情報がリストアップされるという事実です。
残念ながら(時間の関係で)、1年前の記事は最新の状態になっていません。新しい現状に即した内容にアップデートが必要だな、と感じました。
いづれ...まとめてやりたいと思っています。そうしないとアクセスしてきた方がガッカリしますので...
投稿者 messiah : 08:45 | コメント (0) | トラックバック
2005年10月14日
【番外】名前を間違えて記載していたら...
10/11付エントリー「発表! 2005年イグ・ノーベル賞の全受賞者」の中で誤記がありました。
生物学賞を受賞した中に、オーストラリア・ワイン研究所の早坂洋司氏がおられます。
この方の名前をずうーっと、「ハヤカワ・ヨージ氏」と誤って記載していたのです。
ところが、こんなローカルブログでも、見ている人は見ているもので、間違いを指摘された方がいました。
それが何と、早坂洋司氏のお兄さん!(コメントを参照)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世間って、けっこう狭い?気もしております。
投稿者 messiah : 16:34 | コメント (0) | トラックバック
2005年10月01日
普通が楽、普通が一番!
国勢調査が行われています。
昔は調査員の方が、一軒一軒の家を順に訪問して玄関先に「どっこらしょ」と腰を下ろして、聞き取りしながら調査票に書いていたような記憶があります。(ちょっと薄れた記憶なのですが)
昔といってもどのくらいでしょう、三十年以上もしかすると四十年?も前のことかも。
そういった対人コミュニケーションも今では過去のもの。
今回の国勢調査では担当の方が調査票を持ってきて、「これ、来週月曜日に取りに来ますからよろしく」ってなかんじでした。
それはまだいいんですが...
最近は、お隣やお向かいの人と顔を合わせても、見て見ぬ振りをきめこむ人が多い気がします。
東京に単身赴任していた時には、隣の人の顔を一度も見なかった、という不思議な時間空間を経験していますから驚きはしませんが。。。
それでも...やっぱり、どこか変ですよ。
筆者は朝、玄関先を掃除している時に、お向かいやお隣の人がゴミを出しに来るのを見ると必ず「おはようございます」と挨拶するようにしています。
最初の頃は、相手の人がちょっと引いてしまう反応をするので、自分の行動の方がもしかしておかしいのかな?と首をかしげることもありました。
しかし「そんなはずはない」と信じて続けていると、相手の人もいつか呼応してくれるようになりました。
最近では相手の方から先に挨拶をして来られる時もあります。
そう!これがやっぱり「普通」なんだよ、と確信したわけです。(普通が楽、普通が一番!)
「普通」にやればいいことを、無理に「普通」でないように変えてしまっている現代人は間違いなく多いと思います。
「普通」でないことを無理にやってストレスを貯めてばかりいないで「普通」に生きましょうよ。ネッ
<おまえモナー> えっ?
投稿者 messiah : 09:11 | コメント (0) | トラックバック
2005年09月28日
秋の名曲から抹消された歴史の事実
「里の秋」という童謡があります。
筆者は小学校の音楽の授業で歌った思い出があります。”唱歌”というヤツです。
秋の季節にふさわしいこの歌、お母さんと子供が二人で囲炉裏端で栗の実を煮ています。長閑(のどか)で平和な情景が目に浮かびます。
1.静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた
筆者は、現在でもこの歌を”唱歌”として学校で教えている、と思っていました。
ところが、子供に聞くと「そんな歌、知らない」とあっさりと一言。
時代は変っていました。今はユーミンやサザンオールスターズを教材にする時代になっていて”唱歌”という言葉はもう死語のようです。(淋し~い)
2.明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
ああ父さんの あの笑顔
栗の実食べては 思い出す
2番では、不在の父を思い出しながら母と二人で栗の実を食べている。2番も1番と同様に、ほのぼのとした雰囲気の家庭の様子が描かれている。
「里の秋」は太平洋戦争勃発の昭和16年に、千葉県の教師・斉藤信夫氏が歌詞を作りました。(当時の題名は星月夜『ほしづきよ』)
そのため実は、1・2番とは打って変わって、3・4番の歌詞は極めて軍国主義を象徴する内容になっているのです。
3.きれいなきれいな椰子の島
しっかり護って下さいと
ああ父さんのご武運を
今夜も一人で祈ります
4.大きく大きくなったなら
兵隊さんだようれしいな
ねえ母さんよ僕だって
必ずお国を護ります
そして、この3・4番は戦後抹消されます。
しかし話はもう少し複雑なのです。
ポツダム宣言を受諾した年の昭和20年12月にNHKラジオは、戦地から日本に帰国(当時の用語で復員)してくる将兵を励ますために「外地引揚同胞激励の午后」を放送します。
NHKは、その時に流す歌を作曲家の海沼実氏に依頼したのでした。
海沼氏は「星月夜」に白羽の矢を立て、知己でもあった斎藤氏に、NHKで放送する、復員兵を迎えるのにふさわしい歌詞にして欲しいと、(4番は削除して)3番だけの修正を依頼します。
筆者は、地元の、ある葬祭業を営む企業が、地域住民への音楽振興のために開設した多目的ホール「ヒューマンライフギャラリーScene(シーン)」で行われる音楽コンサートをよく聞きに行きます。
その出演者の一人、ラテン歌手の西川慶(けい)氏がこの「里の秋」を紹介する時に、「この歌の重要なのは3番の歌詞。3番がなければ、ただ栗の実を食べてるだけの話に終わってしまう」と言っておられました。それを聞いて「里の秋」の由来に興味を覚えたのです。
さて、作詞家の斉藤氏は放送当日まで3番の修正に悩みに悩みます。
軍国主義を称え、誇りとする内容の3番以降を、途中から別の目的に変えて、かつ歌全体としての調和をとる事は容易ではなかったようです。
そして本番の日。何とかぎりぎりで修正は間に合いました。「ほしづきよ」という題名には濁点が入っているのが面白くないと、その場で1番の歌詞から持ってきて俄かに「里の秋」という題名に決まったようです。
3.さよならさよなら 椰子(やし)の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ父さんよ 御無事でと
今夜も母さんと 祈ります
南方の戦線(椰子の島)から船で引き上げてくる父は無事でいるか、という当時の国民全ての切なる思いを込めた歌詞が完成し、NHKラジオから流れます。
歌が流れた直後、スタジオは胸を打たれた人たちが言葉を発せず、静まり返って感動にひたったということです。
放送後、聴取者から感動したという電話、リクエストの希望が殺到したとも言われています。
この3番の歌詞には、これからは永遠に戦争のない国になって欲しいという願いと、父の安否を心配して複雑に揺れる気持ちが見事に描かれています。
残念ながら、この3番もその後、軍国主義の名残を抹消する圧力によって削られてしまい、「里の秋」はひたすら牧歌的な唱歌となります。
名曲は、歌の意味を伝える大事な部分を抹消されて60年という時間に流されます。
しかし、情報が隅々にまで至る時代になり、今ではインターネットで「里の秋」を検索するだけで容易にその事実を知ることができるようになりました。
そして、この名曲の生い立ちや背景を知ることで、この歌に隠された歴史の事実を噛みしめ味わうことができる、そんな(平和な)今がある事も事実です。
投稿者 messiah : 08:48 | コメント (2) | トラックバック
2005年09月25日
忘れかけていた記事が思わぬところで紹介されました
この「出たとこ勝@負ログ」は昨年12月に公開しましたが、それ以前(公開前)、約1年前に「ブログ奮戦記」という27話からなるエントリー(記事)をコツコツと作成しては貯めていました。
「ブログ奮戦記」は、ある時、ウェブログなるものの存在を知り、ウェブログをやってみようと思い立ち、費用ゼロでもできるという話につられて、あるIT系財団法人が開催している教育研修セミナー「Blog基礎講座」を受講したことに端を発します。
その講座では、ウェブログを無料ソフトだけで構築する一連のステップを学んだのですが、講座終了間際に講師の方に変な質問をしました。
「先生、ウェブログの作り方はわかりましたが、実際に始めるとすれば、どこからどうすればいいのですか?」という素朴かつ無知な質問でした。
返ってきた答えは「先ず、サーバーを用意することです」
そして、その瞬間に愕然としたのです。
サーバー???
よく耳にする単語だけれど私にとっては正体不明のヤツ。想像もつかない。
それは何をするものですか?と聞き返すことにためらいを感じてしまい(それが失敗)、サーバーを自分勝手にイメージして次の質問をしてしまいました。
「どうやって用意すればいいのですか?」
先生は親切にいくつか方法を紹介してくれました。しかし、私にとって問題はそんなことではなかったのです。
サーバーとは何をするものぞ?という疑問を残したままサーバーを借りてウェブログを始めることに強い抵抗感を感じた私は、サーバーについて調べ始めます。
そしてついに、「自宅サーバー」を作ればサーバーとは何をするものぞ?...の答えが出るのでは?という結論に達したのです。
そして、ウェブログを作るその前に、自宅サーバーを立てよう!と決意したが1年前の今頃でした。
「ブログ奮戦記」は私のブロガーとしての出発点となる、自宅サーバー構築からブログ公開までの様々な悪戦奮闘の様子を記録した処女作で、時間もかかったし、思い入れも深い作品です。
「ブログ奮戦記」は4ヶ月という期間をかけて試行錯誤の末、完成しました。
その後、私はブログの話題を中心に据えながらIT関連のニュースや時事問題、その他雑多な話題をブログで取り上げてきました。
コメントも多く頂戴して喜んでいましたが、今日頂いたコメントに中に何と!...もう私も少し忘れかけていた「ブログ奮戦記」を読んだ方からの意外なコメントがあったのです。
この「出たとこ勝@負ログ」は、Movable Type(ムーバブルタイプ)というブログ作成ツールをベースとして作られていますが、その使い方などを「ブログ奮戦記」に掲載していました。
それをご覧になって、「Movable Typeの使い方が、とってもわかりやすいページとして当ページで紹介させて頂きました」というコメントを下さったのです。(こちら)
これは、私にとって驚きでした。エントリー(記事)として1年近く前のもので、トップページにも直接表示されていない、一見すると埋もれている情報なのにも関らず...
検索等で探し当てられたのかも知れませんが、「どこかに見ている人はいるもんだなぁ」というのが素直な感想です。
一生懸命に作ったものが紹介されるのは掛け値なしに嬉しいものです。
もちろんその反対に、時として批判される場合もあるでしょう。
しかし、ネットの良さというのはそれもこれもひっくるめて受け入れた上で、如何に活用するかを考えればいい、と思うのです。
「ブログ奮戦記」を紹介下さったMovable Type活用情報サイトさんにあらためてお礼を申し上げます。
有難うございました。
投稿者 messiah : 16:25 | コメント (2) | トラックバック
2005年09月22日
冷っとした瞬間
昨日、半日ドッグというのを受診しました。(妻と一緒に)
朝、8時過ぎに病院に到着...一番乗りではなかったが三番乗りくらいで。
整理番号札をとって待合室で待っていました。
私たちより先に来ていた人が番号札を取り忘れていて、「お先に」に受付に呼ばれました。
採尿、血圧・視力・聴力・身体測定などを終えて、採血をする部屋へ。
ここで悲劇が待っていました。
右腕上腕部をゴム紐で止めて、親指を中に入れて拳を握りしめて用意完了。
看護婦さんが、どの血管のどの箇所に注射針を突き刺すか、指で押しながら確認しています。
悪い予感がしたのはこの時...
やたら長い。なかなか決まらない。この人、大丈夫かなあ(汗)
意を決したかのように(見えた)看護婦は太い注射針を突き刺しました。
注射の痛みが恐いことはないのですが、あの針の太さは何とかならないものでしょうか。
先日テレビで見ましたが、新しい注射針が発明されたそうで、極薄の金属板を丸~くまるめた直径1mm以下の細い注射針が開発されています。
この注射針の太さは皮膚の痛点の密度より小さいので、ほとんど痛くないそう。糖尿病などで毎日注射を打つ患者には朗報です。
さて話は戻ります。
差し込まれた注射針、ある程度の深さに至ると血液が注射器内にドッと出るのが、なかなか出ない。
看護婦はさらに少し突き刺す。それでも出ない。
さらにもう少し突き刺したところで、顔色が変わりました。
「すみません。ちょっと中止させて頂きます」とシドロモドロになりながら注射針を抜き、絆創膏をペタッとはって平謝り。
でも、針を抜かれた瞬間はホッとしましたよ。
生まれて始めて注射失敗を経験した私ですが、むこうの看護婦もかなり落ち込んだ様子で可哀想なくらい。
その後は、左腕に代えて先輩らしき看護婦に交代して注射されましたが、これもかなり血管を選ぶ段階で時間がかかり、汗は出るは...後からの人に追い越されていくは...
採血後に二人の看護婦に「いつも採血の時はみなさん苦労しているんですよ」と慰めともならない事を言ってしまいましたが、私の血管はどうも細いようです。
何事も終わり良ければ全て良し。
そんなアクシンデトはありましたが、その後はいたって順調。検査結果もその日のうちに説明を受け、特に問題なかったので一安心。
ちょっと体重増が気になりますが。。。
投稿者 messiah : 08:50 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月05日
日帰りで、愛知万博に行くことにしました
愛知万博のイタリア館で、地中海をイメージした人工池に「トレビの泉みたいだ」とコインを投げ入れる客が後を絶たないそうです。
開幕直後から始まり、コインは千枚を超えるそうで、驚いたサルバトーレ・ダミアーニ館長は、閉幕後に「好意」を慈善団体に寄付しようと、清掃員や警備員にそのまま沈めておくように命じたとのことです。
そんな万博も閉幕まであと2ヶ月を切りました。(9/25迄です)
このブログでも何度かテーマ(といっても弁当問題ですが...)に取り上げましたが、「見てきたようなことを言う」だけのコウシャク師で終わっていました。
そんなある日、「万博、一度は行っておかないとねぇ」という声がどこからともなく上がり、「そりゃ、そうだ」というムードに包まれたのをきっかけに、子供も夏休みに入ったし、妻も夏休みをとることになったし、...と、条件がこわいほど整ってしまい、ついに行くことにしました、万博へ。
さあ、そうと決まれば行動は速い。(それだけがとりえ?)速攻で調べました。
条件> 日帰り
使命> 往復の交通手段の確保
急務> 普通入場券(実券)の確保
出発地は大阪です。新幹線で行くか、高速バスで行くかという選択がありますが、入場者数増加の中、会場へのメインパイプとなるリニアモータカーの待ち時間と体力消耗を考えると、会場ゲートに直接乗り入れるバスが望ましい。(もちろん、バスも長時間乗っていると疲れるが、そこは慣れているから平気)
次に入場券ですが、JRみどりの窓口や旅行代理店に問い合わせると入場引換券しか扱っていない。入場引換券は会場ゲートで実券(ICチップ内蔵の正式入場券)と交換する必要がある。するとそこでまた炎天下の行列待ちとなる。
実券の入手先を調べると、楽天チケットで購入できるとわかりました。インターネットで予約して入金すれば約2日後に自宅に送ってくれる。(大人4,600円、中人2,500円+配送料600円)
ところが、西日本JRバスに問い合わせて、いいのを見つけました。
「万博ライナー大阪 EXPO直行バス」というのが毎日運行していて、大阪-万博会場が朝2本(7:20発、8:20発)、反対に、帰りの万博会場-大阪が夜2本(18:10発、19:10発)運行しています。(バス料金は大人往復4,600円)
これはGood!
このバスで、朝7:20に大阪駅を出発して、10:20に万博長久手会場東ゲートに到着、そして、夜19:10に同じ東ゲートから帰りのバスに乗って大阪駅に22:10到着。
お年寄りや腰痛持ちの方にはお奨めできませんが、低料金で出来るだけ万博会場に長くいて楽しみたい方にはベストではないでしょうか。
さらに、往復のバス料金と、(並ばずにすぐに入れる)普通入場券がセットになっていて大人8,100円、中人6,000円です!(中人は12歳から18歳まで)
チケットショップでもこの値段では入手できないのでは?と思いました。
行く前から、「これは得をした」とニヤニヤ。(来週行ってきます)
投稿者 messiah : 09:00 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月30日
しつこい夏風邪はこうして治せ!
1週間近く続いていたイヤーな夏風邪。
気のゆるみでしょうか、エアコンの冷気で風邪をひき、熱もないし食欲もあるのだが、1日2~3回、咳が猛烈に出て身体がだるかったのです。
時と場所を選ばない強烈な咳は、訪れるたびに身体を丸めて息を止めて耐えるしかありません。咳止めの薬も効かない...
あれあれ、これはマズイよ。
そんな昨日、ノンベエの私、昔からの知り合いと暑気払いに飲みに行ったのです。
体調が悪いのに(というか風邪)お酒飲んだりすると、もっとひどくなるんじゃないかとちょっと不安もありましたが、「まあいいっか」。...そういって飲んだ飲んだ。
ところが、これが大成功。
今朝、自転車で30分ほどの所にある公園内のテニスコートで1時間ほど汗を流し(久しぶりなので足がグラグラ)、あろうことか帰りに回転寿司屋で中ジョッキをまたまた飲んで...
帰宅してシャワーを浴びて、すぐに昼寝。
その後、目が覚めると不思議なことが起こっていました。
頭はスッキリ、喉の奥に引っ掛かっていたイヤなかんじもない。
ついに、カゼが直った!
思いっきり飲んで、それから思いっきり体を動かして、赴くままに寝て...
これです。夏風邪対策はこれです。
夏風邪で悩んでいる方は参考にしてください。(完治の保証はしません)
投稿者 messiah : 16:25 | コメント (2) | トラックバック
2005年06月27日
目上の人への労いの言葉は「お疲れ様」ではなく...
6月だというのに、真夏並みの高温が続く日本列島。
梅雨前線はどこに行った?というかんじです。
さて、新聞紙面からの拾い読みですが、普段何気なく使っている「お疲れ様です」や「ご苦労様です」という言葉の使い分けについて論評が載っていました。
日本語学の教授によると、「お疲れ様」は共同で成し遂げた仕事などへの労い(ねぎらい)として用いる言葉で、「ご苦労様」は自分のために相手が何かしてくれた行いへの礼として用いる言葉のようです。
しかし、この両者の使い分けは、現在かなり曖昧になっています。
筆者が社会に出たばかりの頃は、誰に教えられたわけでもないのですが、同じ意志を伝える場合、目上の人には「お疲れ様」を使い、自分と同等以下の人には「ご苦労様」を使っていました。
ところが、目上の人への労いの言葉として、現在はほとんど使われていないが、「かたじけなし」とか「かしこし(もったいない)」という言い方が実はあるのです。
上司が会社を退出しようとする姿を見たら、部下のあなたは直ぐさま「部長、今日はかたじけないです」というのが日本語の正しい使い方のようです。
投稿者 messiah : 11:22 | コメント (0) | トラックバック
2005年06月16日
今日は何の日?
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投稿者 messiah : 08:26 | コメント (0) | トラックバック
2005年05月09日
【休題】読者メールのご紹介
函館にお住まいの女性から「出たとこ勝@負ログは、いつも刺激と発見があります」という嬉しいお褒めのメールを頂きました。
「出たとこ勝@負ログ」開設以来、初めて頂いた読者メールなので「記念」に紹介させて頂きます。
筆者からその方に「函館はどんな街ですか?」と質問したところ、
函館は異国情緒豊かな港町、美味しい海産物に恵まれたところです。
有名なのは特に「烏賊」で、幼い頃からお皿が透き通るほどのバリバリ(北海道的表現)のイカの味を知っている私は、関西ではあのもそもそした白いモンゴウイカが食べられなかったほどです。(中略) かつて「100万ドルの夜景」と言われた函館山の夜景は、近郊が拓けてきたために年々宝石を散りばめたように一層輝きを増しています。 |
函館の人は”捕れ捕れ”の最高級の「烏賊」を刺身で食べるんでしょうね。熱燗にイカ刺しでいっぱい!...ってところかな。
焼いてもうまそう。チリチリ...でも、焼くのはもったいなイカ。
(独り言、独り言)
あ!..........失礼しました(^^;
歴史的に有名なので、函館=五稜郭というイメージしかない筆者ですが、神戸の六甲山から港を見下ろしたようなかんじでしょうか?(ここも100万ドルの夜景と...)
お便りをくださった「空飛ぶ水冠」様、有難うございました。
「空飛ぶ水冠」様は、法具と法衣の研究サイトおよびコラム「迷いの窓」を公開されています。
皆様も、意見や感想があればどしどし.....と。(プロフィールのところにメアドありますけど、一応これです。info@go1by1.com)
投稿者 messiah : 15:20 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月17日
YAEZAKURA
遅咲きの桜を見に行ってきました。
八 重 桜 (大阪造幣局)
※ 写真をクリックすると動画を再生できます。
動画サイズ(320×240px)
※ ブロードバンドでない方は、写真を右クリックして
ディスクに保存してから再生してください。
投稿者 messiah : 13:44 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月12日
ひねもす、サイトの工事
本日は・・・1日中、この「出たとこ勝@負ログ」のトップページの改造を行っていました。
「あっ」という間でした。時間の経つの。すみませぇーん。今日の記事は何もありません。もう、クタクタです●~*
せっかく訪問してくださった”あなた”には誠に申し訳けありません。明日からはしっかりと投稿しますのでお許しを.....
今日のところは、手ぶらでこのままお帰りくださいますように。
せっかくですから、右下の「人気blogRanking」をクリックしてお帰り頂くと非常に幸いです。(..........もちろん冗談です)
これに懲りずにまたお越しください<(_ _)>
投稿者 messiah : 20:11 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月08日
始業式と入学式 それぞれの春、始まりました
今日は上の子供が高校3年生の始業式、下の子供が高校1年生の入学式でした。始業式は保護者が参加する場はないので、下の子供の入学式に妻と一緒に参加しました。
入学式が終わると、最初に保護者が教室に案内され、注意事項や進学についての説明を受けました。その後、生徒たちが入室してきて、学校の決まり事や行事などの説明を一緒に聞きました。
校則で毛染め禁止。天然パーマや天然茶髪であることを事前申告する「地毛(じげ)申告」というのがあるそうで、思わず笑い。
最後に、中庭の見事に開花した桜の下で生徒だけの記念撮影と、生徒+保護者の記念撮影をして解散。美しい桜と大正時代に建設されたというレトロな校舎がマッチして清々しいこと。
子供も高校生になった実感がわいてきたようで、「○○部に入って運動したい」とか、「バイトもしてみたい」とか、「他のクラスの友だちもたくさん作りたい」とか、「ネクタイの締め方練習しよう」とかetc.....喫茶店で希望と期待の”テンコ盛り”を聞かされ...
最後は、「わかった。わかった。とにかく頑張れよ!」ッと返事。
投稿者 messiah : 00:00 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月06日
さ く ら
春らしい日差しと暖かさが。。。こんな桜が咲く日も近そうです。
投稿者 messiah : 09:07 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月04日
ようやく始まったゴミの分別回収
筆者の住む地域でようやく遅まきもいいところだと思いますが、4月から分別ゴミの回収が始まりました。(05/3/16付:大阪人は非協力的?ゴミの分別方法を全区で統一をご参照)
今日はその回収日初日です。
ホームセンターのゴミ箱売り場は、普段は山積みになっている商品がほとんど売り切れています。普通ゴミと容器プラスチックを分けて入れられるように仕切りのあるタイプのものがよく売れていて、ゴミ箱売り場だけ数メートルにわたって何もない、という異様な光景です。
容器プラスチックは半透明の白い袋に入れることになっているのでこのポリ袋も飛ぶように売れているようです。
ゴミは「文明の排泄物だ」と思っていますのできちんと分別して出していきます。(まあ、当たり前でしょうが...)
筆者の住む近隣で既に分別を実施している地域の、ゴミ分別に対する協力率は現在40%程度。ちょっと恥ずかしいですね。
こらっ、もっと協力せい!(偉そうかな)
投稿者 messiah : 09:15 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月25日
昔の事は鮮明に憶えているのに.....
昨晩、親しくさせてもらっているお二方と久しぶりにお酒を呑みました。つい最近まで一緒に仕事をしていた方たちで20年以上前からの付き合い。となると、呑むほどに内容は”昔話”へとシフトしていきます。それにしても昔の事は何であんなに鮮明に憶えているのか?年と共に記憶力が弱くなるのは誰もが感じることですが、ある程度の年齢になると、最近の事よりも昔の事の方をよく憶えているものです。どうしてか?
人間の記憶のプロセスは大きく3つに分けられます。
(1) 脳の中で情報を何らかの形で符号化する(記銘:つくる)
(2) 脳のある場所にその情報を蓄える(貯蔵:しまう)
(3) 脳に貯蔵された情報を検索して再生する(想起:とりだす)
この中で年齢と共に顕著に弱くなるのが(1)、(2)だそうで、それに比べて(3)は年をとってもあまり変らない。若い頃の記憶が鮮明なのは(3)があまり変っていないから。逆に最近の事をよく憶えられないのは(1)、(2)が衰えるからだそうです。
ところで深酒をした翌日、前日の事をほとんど憶えていなくて家族や他人に迷惑をかけていた頃がありました。あれは(1)も(2)も(3)も働いていないのでは?と思ったり。(深酒やめました)
投稿者 messiah : 10:21 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月20日
まだ寒さの残る京都 お彼岸の墓参り
彼岸の中日の今日、京都・東山にある墓所へ家族で墓参りに行ってきました。天気は晴れのち曇りでしたがこの季節にしては寒くって、五条大橋を行く人たち、清水寺にお参りする人たちはまだまだ厚手の服装をしていました。墓所の庭園には桃の花がひっそりと咲いていて、春はまだ歩みをとめてどこかで休憩しているかのようです。
投稿者 messiah : 21:05 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月19日
春、真っ盛りの子供 誕生日に自転車をゲット
3月19日は、高校に進学する下の子供の15回目の誕生日でした。進学祝いにパソコンを作ってやり、携帯電話も買ってやり、あちらこちらから「よかったね」、「おめでとう」と祝福され、勉強からは解放されて、只今我が世の春を送っています。今が「生まれてきて一番幸せ」だそうです。そして誕生日を迎えた今日、前々からの約束もあって誕生祝いということで自転車を買ってもらい、さらにハッピーハッピーです。こちらの財布はエンプティエンプティですが。
投稿者 messiah : 00:00 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月14日
パソコンが起動しない時の「おまじない」
よくあることなんですが(よくあってはいけないんですけれど)家族で共有しているパソコンが昨晩から起動しません。電源スイッチを入れて初めに表示される英語表示の画面の後に普段ならWindowsのロゴ画面が表示されるところですが、なあーんにも表示されず、そのまま真っ暗な画面が永遠に続きます。ウーン困った。自作パソコンなので自分で直すしかない。家人からは、いつ直るの?、トカ、早く直せ!、トカ、いろいろプレッシャーを受けながら原因を考えますが......判るわけがない、のです。(-.-;)
さて、こういう場合は開き直ってある「おまじない」をします。パソコンケースを開いて基板上のメモリを慎重に抜きます。そして、「ちゃんと起動してくれよな」と一言。再びメモリを差し込みます。この「おまじない」が効いたようで起動できるようになりました。メモリを抜き差しして何故直るのか?私にもわかりませんが、Windowsが起動しない場合、時々この方法で解決することがあるから不思議なものです。
ケースを開けたついでにCPUクーラー(CPUの上に設置してCPUを冷却する装置)の上にビッシリとついた埃を掃除機で清掃して、結果オーライの一件~落着。
投稿者 messiah : 21:47 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月11日
雨の卒業式 泣いていた子が6人
下の子供の中学校卒業式の日でした。式の終了後に先生と保護者が運動場に出て花道を作り卒業生を送リ出すという段取りだったのですが、式終了直前、非情にも空から冷たい雨がザアザアと.....来ました(;_;)
ビデオを撮りながら卒業生の表情を観察していると180余名の卒業生の中で女子生徒の6人が泣いているか、または泣きだしそうな様子でした。こういうのを見ると理屈ぬきに感情が移ってきます。男子は泣きませんね。まあ、昔から男で泣いていた奴は見たことがありません。それでいいのでしょう。幸い我が子は進学先が決まっていますが、これから公立高校の後期試験を控えている子供たちもいて彼らはまだまだ息を抜けません。みんなの春よ、早く来い(^。^)
投稿者 messiah : 16:52 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月08日
今日は携帯電話を買いに行きます
下の子供が志望高校に合格したので、約束していたパソコンを自作することになり、昨日無事に完成しました。やれやれ.....と思っていると、今度は上の子供が携帯電話の機種変更をしたいと言い出します。2年前に買った第2世代の機種をFOMAに変更したいと言うのです。購入して2年経過すると機種変更料金が少しお安くなるようです。今は下の子供がお祝いだとかいろいろ買ってもらって自分は蚊帳の外。それが面白くない。だから、1日も早く自分の携帯電話を新しくして気持ちを慰めたいと思っているようです。下を立てれば上が立たず、上を立てれば下が立たず。
(-.-;)
投稿者 messiah : 09:03 | コメント (2) | トラックバック
2005年03月07日
自作パソコン 久しぶりに挑戦します
勉強嫌いな子供にインセンティブの意味で「第一志望校に合格したらパソコンを作ってやる」と公言したのが1年程前のこと。子供もそれを励みに努力した?かどうかは分かりませんが、とにかく学習塾に毎日通い、ある時は叱咤され、ある時はなだめられ...しながら今年の受験の時を向かえたのです。そして、ちょっと高望みをして受けた高校にラッキーにも合格してしまいました。
今度は私が約束を果たすことになりました。昨日は部品調達のために朝から夕方まで電器店をうろついていました。今日は自身では3号機目となる自作パソコンに久しぶりに挑戦します。
投稿者 messiah : 08:37 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月03日
眠れる獅子、清水宏保に期待
ウィンタースポーツシーズンも終わろうかという時期になったが気になることが1つ。スピードスケートの清水宏保選手のことです。500mの世界記録保持者で短距離界の第一人者ですが今シーズンの成績があまり、というよりサッパリ振るわない。このところの成績は何かあるんではないの?と思ったりします。靴の選択に迷っているとか、腰痛を抱えての調整とか、いろいろな話を耳にしますが、やっぱり寄る年波(31歳)に勝てないのだろうか?
ご本人は清水宏保HOMEPAGEで次のように述べています。
不調の最大の理由は、精神的なものだったと思います。トレーニングをやっていく上で、一番重要なのは量でも内容でもなく精神面です。挑む姿勢というか・・・。たとえ同じ練習内容でも、その日の精神状態によって練習そのものは同じものではなくなります。そういった面で考えると、昨シーズンは次のオリンピックまでの、ちょうど間のシーズンということで、僕自身の精神的な充実感がものすごく欠けていたと思います。高度な練習をしたくても腰のことがあってブレーキがかかる。最大の目標であるトリノまでは少し遠い・・・。いろんな要素があったと思います。そういう歯がゆさの中で、なかなか自分自身を盛り上げることができませんでした。(中略) 確かに、こんなに結果が出せなかったシーズンはナショナルチームに入って以来、1回あるかないかです。もちろん、結果を出せないことに納得行かない部分もありましたが、“モチベーションが低い自分”という裏づけされるものを感じていたので、結果はどうあれ納得行く年ではありました。 |
[写真加工]NEC SPORTS トピックスより
あの小さな身体で、海外の大男たちを寄せつけずに6年以上もトップの座に君臨し続ける、今は眠れる獅子・清水宏保。
トリノ五輪での金メダル、期待していますよ。