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2005年07月01日

コペルニクスを勇気づけた紀元前からの贈り物

紀元前4世紀のギリシヤの哲学者アリストテレスに始まり、紀元2世紀のギリシャの天文学者プトレマイオスによって確立されたといわれる『天動説』。

この天動説、現代科学から見ると矛盾だらけですが、当時の科学技術レベルからすると誰もが納得してしまう妥当な考えだったようです。

天動説では、宇宙の中心に静止した地球があって、その周囲を太陽、水星、金星、火星、木星、土星、月の7つの星が回っているという宇宙観です。

これら7つの星の遥か向こうには全ての星をくっつけている天球というものがあり、天球が規則正しく回転することで星が一定の周期で運行していく。

そして、天球の外は時間も空間も存在しない「無の世界」が広がっていると考えられていました。

ところが星の動きを観察していると、本来の運行方向とは逆向きに進んだり、暫らくすると再び元の方向に戻るといった、まるで「酔っ払い」のような星がいくつもあることに人々は気づきます。

それらの星は、惑っている星-すなわち、「惑星」と呼ばれるようになります。

惑星の奇妙な動きは、事態を微妙に変化させていきます。

最初はこの動きを天動説でどうにか説明できたのです。

つまり、惑星は基本的には天球に沿って運行しているが、同時にそれ自身が小さな円運動をしているので、見る方向によっては逆戻りしているように見えるのだ、とプトレマイオスは強引に説明をつけます。

それでも庶民は十分納得したのでした。

何故なら、庶民の考えの中に「地球が動いている」などという発想が生まれる余地は全くない時代だったのです。

そよ風が大地に触れるように優しく吹いている...そんな地上に立っている人に、「実は地球は、秒速500mで自転しながら、毎秒30Kmの速度で太陽の周りを回っていると考えろ」という方がむしろ、狂気の沙汰というものです。

しかし、天体観測技術の発達と天才の出現は、メルヘンな天動説の世界を容赦なく変えていきます。

15世紀後半になると、天動説を基本とする星の運行図は複雑を極めていました。

ニコラス・コペルニクスはある時、ギリシャ時代の哲学者アリスタルコスが提唱した地動説に立ち戻り、数学を使って地動説を検証しようと思い立ちます。

一般に地動説は、コペルニクスの発案とされていますが、実は紀元前3世紀にそれを発案した人が既にいたことに驚かされます。

アリスタルコスの時代は、天体望遠鏡はおろかレンズさえもない時代です。

そんな時代に彼が地動説を思いつくヒントになったのは太陽の大きさを理論的に計測した時でした。

彼は月食や日食を観測して三角法を使って太陽の大きさを求めます。

結果は、地球の300倍あった。(実際はもっと遥かに大きい)

その瞬間、アリスタルコスは、地球よりも遥かに大きな星が地球の周りを回ることに不自然さを感じ、地動説を立案するのです。

発明や発見には偶然が作用しますが、多くの場合、過去の歴史の中に眠っていたヒントを天才かまたは、執念の人が掘り起こして生まれるような気がします。

コペルニクスもアリスタルコスの存在がなければ、誰もが絶対だと信じてきた考え方が一挙に覆されることを示す、あの有名な「コペルニクス的転回」という言葉は残らなかった。

ガリレオもコペルニクスの存在がなければ、「それでも地球は動いている」という有名な話は生まれなかった。

地動説を不動のものとする世紀の発見を行ったニュートンも、先人の築いた1つ1つの業績によって「万有引力の法則」を創造し後世にその名を残します。

今日の人類の繁栄は先人から送られた『知の贈り物』であることは間違いありません。

連綿として続く長い人類の歴史において、先人は現世の人に、現世の人は後世の人に対して、”知の贈り物”を渡してきている...

『知』とは、壮大なドラマなのです。

投稿者 messiah : 2005年07月01日 09:17

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