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2005年11月06日

「大阪」と呼ばれた街

11/5の朝日夕刊のトップ記事に載っていたこの見出しに軽く驚く。

副題は、「かつてはあこがれの商都」。

過去形で表現されるものは、現在では消滅か否定されているものと相場が決まっています。

大阪歴史博物館の学芸員・船越幹央氏が調査したものですが、読んでみると、やはり...

大正から昭和にかけて「東洋のマンチェスター」と呼ばれていた大阪は、地方都市からは憧れの都市だったことがあります。

交通の要所となる各地に「小大阪」があったそうです。

明治から昭和初期にかけて、自分たちの街を「大阪」になぞらえて発展を目指した都市を北から順に紹介していきましょう。

福島県郡山市は、かつては東北の大阪と呼ばれた。製糸、紡績、化学工業が発展し、1924年に建設した公会堂は大阪の中之島公会堂を模して作られた。

富山県高岡市は、かつては北陸の大阪と呼ばれた。江戸時代に銅器、鉄器、漆器などの製造業が発達。都市の近代化とともに市街地周辺に化学・パルプ・繊維・金属などの工業がおこった。港湾都市の性格ももっていて「北陸の大阪」と呼ばれた。

鳥取県米子市は、かつては山陰の大阪と呼ばれた。山陰の交通の要所で製糸、鉄工業、醸造が盛ん。繁華街を大阪の心斎橋筋に例えたり、皆生(かいけ)温泉を大阪府堺市の浜寺にちなんで「山陰の浜寺」と名付けたりした。

愛媛県今治市は、かつては四国の大阪と呼ばれた。瀬戸内海の海運の中心。四国最初の貿易港で工業も発展した。

愛媛県八幡浜市は、かつては伊予の大阪と呼ばれた。明治時代から九州、高知、大阪方面との海運の拠点で、呉服・綿織物の卸売りが盛ん。大阪に倣って「南予のマンチェスター」として地方の商圏を把握した。

へぇー、こんなにあったんですか。

ところでマンチェスターですが、産業革命以降、綿織物工業の中心として発展したイギリスの工業都市です。

最近ではデビット・ベッカムが2003年まで所属したプロサッカーチーム「マンチェスター・ユナイテッド」が有名です。

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話を戻します。

「大阪」と呼ばれた街...

この過去形の言葉が、淋しく響き、秋の季節も手伝っていっそう哀愁が漂うのは関西人だからでしょうね。

「日はまた昇る」 泣くな、大阪よ。

投稿者 messiah : 2005年11月06日 09:24

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