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2006年07月26日

インターネットを創った男 その小史

ティム・バーナーズ・リー情報社会の基盤として欠かせない存在になったインターネットですが、もし“彼”がいなければ、全く違った形になっていたか、もしくは...なかったかも知れません。

彼は、1973年にロンドンのエマニュエル高等学校を卒業後、オックスフォード大学クイーンカレッジに進学します。専攻は物理学でした。

1976年に同大学を卒業し、イギリスのプレッセイ電信電話会社に就職し、2年間の勤務の間に分散システムやメッセージ転送、バーコード技術などを担当します。

それから1978年に、D・Gナッシュという会社に移り、ここでインテリジェントプリンタ用のソフトウエアやマルチタスクOSなどを作っています。

その会社を辞めた後、1年半ほどは個人でコンサルタントを営んでいたのですが、その時、ジュネーブ(スイス)にある欧州素粒子物理学研究所(CERN)にソフトウエア技術のコンサルタントとして入ります。

CERNはヨーロッパの12ヶ国が共同で作ったもので、巨大加速器を中心にした「研究都市」と言っても良いくらいの大組織で、数千人にのぼる研究者や参加者にいかに情報を行き渡らせるかというのが大きな課題でした。

彼に託されたのは、その課題をクリアーできるコンピュータ・システムでした。

この時期に彼は、まったく個人的な範囲ですが、ランダムに他の文書と連結できる仕組みをもった「Enquire」と名付けられた情報管理ツールを作っていました。

そして、運命の1989年...しかし、それは偶然とは言えないでしょう。

電信電話会社時代に担当した分散システムや個人で研究してきた情報管理ツール開発などの経験と苦労が結実します。それはむしろ、必然であったかも知れません。

その当時、アメリカの社会学者テッド・ネルソンが長く研究を進めてきたハイパーテキスト(複数の文書を相互に関連付け、結び付ける仕組み)というアイデアがありました。

彼は、そのハイパーテキストをベースにした、分散システム上の情報形態をCERNに公式に提案します。

それが、あのWorld Wide Webです。(WWWは、彼が作った造語です)

彼はCERNにあったNeXT(現アップルCEOのスティ-ブ・ジョブズが創った会社)のコンピュータ上にWebサーバープログラムを、クライアント側にブラウザの環境を作ります。

この作業は1990年10月から始められ、1991年夏にはインターネットで使えるようになります。

最初のブラウザはテキストベースでエディタの機能も兼ねていました。1991年から1993年、彼はWWWの最初の設計をインターネット上のユーザーと議論しながら、より一般的に使えるように拡張していきます。

この時期にHTMLやHTTPの仕様が公開されたので、それに刺激されてViola、Celloといった第三者が開発したブラウザがインターネット上に流れ、その後マーク・アンドリーセンのMOSAIC(NetScapeの前身)が登場することになります。

彼の名は、ティム・バーナーズ・リー。インターネットの生みの親と呼ばれています。

1994年、彼は住み慣れたヨーロッパを去り、米国マサチューセッツ大学のコンピュータ科学研究所に移って、W3コンソーシアム(WWWで利用される技術の標準化をすすめる団体)の責任者になりました。

その後、彼は「セマンティックウェブ」という概念を世界に向けて提唱するようになります。

そして先日(7/18)、米国人工知能学会(AAAI)が主催する会議で基調講演を行い、人工知能とセマンティックウェブについて語りました。

この席上に、(誰でも知っている)あの有名企業の社員が聴講者として参加していたのですが、講演の終わりになって“生みの親”にかみついたのです。

【この続きはまた明日...】

q.f. ちえの和WEBページ

投稿者 messiah : 2006年07月26日 11:19

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