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2005年12月02日
労使の協調 江戸時代後期には芽生えていた
江戸時代後期に京都府亀岡市にあった亀山藩で、ある武士が重病の祖母を介護するために休みを申し出て、家老らに認められていたことが、京都府立総合資料館による古文書解読でわかったそうです。
同資料館の担当者は「現代のような介護休業制度があったのではないか」と分析しています。
同藩の中級藩士だった及川源兵衛広之が記した「御番頭代京火消詰日記」でわかったそうです。
「京火消詰」は、幕府の命で京都御所と二条城の消防を担当する役目。及川源兵衛広之はその責任者代理でした。
日記には、伊丹孫兵衛という藩士が及川を通して家老や年寄らにあてた「休業願」が写されていました。
伊丹氏は火災現場の警備責任者を務めていたのですが、「高齢で病気の祖母の調子がよくないので、命あるうちにしばらくでも看病したい」という内容で、介護休業を「看病之御暇」と記しています。
育児休暇は現代でもありますが、封建社会で絶対服従が通念とされるこの時代に意外な側面があったことを伝える貴重な資料ですコレ。
実は、「看病之御暇」を提出した後で上の方で少しもめたようです。
それは介護対象が(直接の)親でないということ。
しかし、江戸藩邸詰の藩士が祖母の大病で帰郷したという先例があり、伊丹氏の親類が事前に相談していた「根回し」もあって最終的に認められたのでした。
祖母は介護の甲斐あって快方に向かい、伊丹氏は5日後に職場復帰したとも記されています。
藩を会社に例えて言えば、社員の家族に介護が必要になり会社に休暇を申請した。
一方、親族は事前に根回しを行っていた。
会社幹部は休暇の諾否について会議にかけたが、本社で似たようなケースがあったので許可することにした...という何となく今の時代にもありそうな話。
社会が長く安定していた江戸時代後期ともなると、現代社会にも通じる”労使の協調関係”や”前例を参考とする風習”が既に芽生えていたようですね。
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投稿者 messiah : 2005年12月02日 08:48
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