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2006年03月26日

日本三鳥居、日本三舞台のあるお寺

四天王寺の西門
四天王寺の西門
q.f. 京都・大阪.COM
ちょっと古い話になります。

今から1419年ほど前のことです。(古過ぎる?)

当時、かねてより対立していた崇仏派の蘇我(そが)氏と排仏派の物部(もののべ)氏の間に武力闘争が発生します。

この争いで聖徳太子こと厩戸皇子(うまやどのおうじ、当時14歳)は、崇仏派の蘇我氏側につきます。

「日本書紀」によると、蘇我軍は物部氏の本拠地(現在の大阪府東大阪市)へ攻め込んだが、敵の物部守屋(もののべのもりや)は、稲を積んだ砦を築いて上から矢を放って防戦し、蘇我軍は三度退却します。

蘇我軍の後方にいた厩戸皇子は、この戦況を見て、白膠木(ぬりで)という木を伐って四天王の形を作り、「もしこの戦さに勝利したなら、必ずや四天王を安置する寺を建てる」と誓願します。

そして、蘇我軍の放った矢が敵の物部守屋に命中して彼は木から落ち、戦いは蘇我氏の勝利に終わります。

その6年後の西暦593年、聖徳太子となった厩戸皇子は、摂津難波の地に四天王寺を建立します。

その四天王寺ですが、参拝客の大半が出入りする西門(さいもん)には、お寺なのに石の鳥居があります。

この鳥居は、日本の三鳥居の1つであることが、落語の「天王寺詣り(まいり)」で次のように紹介されています。

「大和吉野の唐鐘(からかね)の鳥居、安芸宮島の楠(くす)の鳥居、そしてこれが天王寺の石の鳥居や。さぁ、境内に入っといで。講堂に金堂に五重塔、経木を流す亀井堂に、怜人(れいじん)の舞の台や...」

鳥居は、土着の神祇信仰と仏教信仰を折衷して1つの信仰体系として再構成する「神仏習合」の象徴ではないか思われます。

また、境内の「亀の池」の中央にある石舞台は「日本三舞台」の1つとされ重要文化財になっています。(他には、住吉大社の石舞台、厳島神社の平舞台がある)

大阪に、天王寺(てんのうじ)という地名があります。(関西の人ならご存知の方が多いと思います)

実は、この地名は四天王寺の略称なのです。

q.f. アサヒ・コム

投稿者 messiah : 2006年03月26日 08:34

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コメント

うーん、「あんなとこ~こんなとこ~」と多方面の博識ぶりを披露しておられる出たとこ様。上方落語メモを開いてみましたが、「天王寺詣」http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug175.htm
四天王寺さん観光ガイドのような落語ですね。もしかして隠れ落語ファンですか?「鳥居」と言うと何だか他人事とは思えず、真剣に読んでしまいました。いやあ、勉強になりました!

投稿者 サンサンてるよ : 2006年03月27日 18:57

サンサンてるよさん、まいどおおきに。
私は桂枝雀の落語が好きです。CDをレンタルしてMDに録音して時々聞いています。(20演目ほど)
ご紹介頂いたサイトを訪問して「天王寺詣」をざっと見ましたが、枝雀さんが演じたら味が出そうなネタですね。

投稿者 でたとこ : 2006年03月27日 19:38

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