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2007年04月18日
“天に意志がある”としか思えない
昨日のエントリーは、ほのぼのとしたラッコのムービーが好評でした。
人間以外の動物は本能に基づいて行動しています。だから、あのラッコの生態は生命の“ありのまま”の姿だと言えるでしょう。
それに比べて、人間という生き物は。。。
出たとこ勝@負ログには、これまで“事件”を扱ったエントリーはほとんどありません。(ライブドア、村上ファンドくらいです)
昨日起きた長崎市長暗殺事件、アメリカの大学で起きた銃乱射無差別殺戮事件。
いったいどの部位に。。。こんなおぞましい事をしようとする心理が生まれるのか、犯人の脳を解剖して調べたいくらいです。(私には医学知識はないので調べられませんが)
バージニア工科大学での銃乱射事件で亡くなった犠牲者の一人にイスラエル人のリビウ・リブレスク教授(76)がいました。
彼は、第2次大戦中のナチスドイツのユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の生き残りでした。
リブレスク教授は、教室の中に容疑者が入ろうとした時に、撃たれながらも手でドアを押さえ続け、学生たちを避難させたそうです。
テルアビブ在住の同教授の息子、ジョーさんによると、助かった複数の学生たちが、教授の妻マルレナさん宛に、その時の状況を電子メールで伝えてきたといいます。
リブレスク教授はルーマニア生まれ。ナチスドイツの占領下で、ユダヤ人迫害を逃れました。
ブカレストで流体力学の博士号を取った後、1978年にイスラエルに移住。航空工学の権威で、1985年に研究休暇を過ごしたバージニアが気に入り、工科大の教授に就任していました。
自分を犠牲にして人命を救うという心理。これもまた、同じ人間から生まれたものです。
司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」のラストに、坂本竜馬が暗殺された後に、こう結んでいます。
「天に意志がある、としかこの若者の場合思えない」
「天がこの国の混乱をおさめるために遣わし、その使命が終わると惜しげもなく天に召し返した」
リブレスク教授の場合も「天に意志があった」のかも知れません。
投稿者 messiah : 2007年04月18日 07:30
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コメント
最近、恐ろしいニュースは刺激が強すぎて熱心に新聞を読まないのです。ですから、この感動のお話は初めて知りました。闇の中に灯った輝くばかりの光ですね。多くの学生さんたちの心に、事件の負の側面を被って余りある大きなプレゼントとなったことでしょう。知識を超えた素晴らしい精神を教えられ、きっと学生さん達は立派なリーダーになってゆくだろうなあと思います。
投稿者 サンサンてるよ : 2007年04月23日 16:45
サンサンてるよさん いつもありがとう。
この事件だけでなく毎日のように
悲惨な、気が滅入る、悲しい、情けない...
マイナスの話が多すぎる今日この頃です。
「もう、やってられないわ。。。」
という気持ちになりますが、私たちの時間は、そんな気持ちとは無縁にどんどんやってくる...
ので、気を取り直して(時間の)お相手をするしかない。
時間は「忘却」という麻薬を取り出して「もう、過去のことにくよくよするな。これを飲んで忘れろ」と私たちに指しだす。
そんな毎日が繰り返し続いていく。
そんな中で、心がいやされる何かを求めさまよっている現代人がいる。ここにも(自分)
世の中に過度の期待を寄せるのは不可能とさとった上で、それでも
「世の中、まだまだ捨てたものじゃない」
と思っていくしかないのかな、と思ったりしている今日この頃です。
投稿者 でたとこ : 2007年05月01日 02:49