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2007年09月04日

自分の“死”を知らせてくれるサービス

先日、「物作りだけしかなかった産業の不足を補い、平和を前提とした人々の生活に潤いや安心、快適を提供する重要な役割を果たしてきたサービス業」に関するエントリーを書いたら、ちょっと関連があるニュースを見つけたので反射的に掲載します。

筆者が3年前にブログを始めるきっかけを提供してくれたIT情報系老舗サイト「百式」にこんな記事が...


あなたが死んだら大事な人にそれを知らせてくれる『DeathSwitch

これ、つくろうかな・・・。

DeathSwitchではあなたが万が一死んでしまったり、動けなくなってしまった
ときに周りの人にそれを知らせてくれるサービスを提供している。

仕組みは簡単で、定期的に送られてくるメールに返信していくだけである。た
だし、あなたが一定期間返信できなかったら、あらかじめ指定された人に指定
した内容のメールを送ってくれるのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(後略)

上記は米国での話です。

電子メールが、社会の中で空気のような、水のような、あまねくどこでも使える時代においては、送ったメールに対して返事があるかないかで相手の状況をある程度推測できるのです。

メールを送ったらすぐに返信が来るような相互コミュニケーションがある場合に限るかもしれませんが(但し、メール中心で情報交換する人なら、そういう相互関係が多いはず)返信がこないのは、

  1. メールを(見れるのに)見ていない
  2. メールは見ているが返信できていない
  3. メールが(見たくても)見れない

のいづれかです。1と2の場合、多忙かもしくは生活に何か異変が起きていると考えられます。

そして3の場合、事故とか病気などが想定できますが、もう1つあるのは死亡です。

ある人が死亡したことを知るのは、遺族や知人からその事実が発信された時だけです。この場合、情報(訃報)は完全に一方通行です。

しかし、年老いて身寄りのない独り暮らしの人が、自分の“死”という事実を生前に関わりのあった人に知らせたいという欲求は理解できます。

その欲求実現のために、自分から能動的に自らの生死情報を発信していく。(発信できなければ死という判定になる。ここに問題がありそうだが...)そのあたりのニーズを狙った新手のサービスが登場したわけです。

人の死に対する観念や習慣の違う日本では、このようなサービスは成立しないかも知れません。しかし、元来サービスというのは、多くの人に幸せをもたらすものでないといけない。(と信じていますので)

一見奇異な感じのするサービスであっても、それが安心や満足といった幸せをもたらすものならば、日本でも受け入れられるかも知れないとい思います。

投稿者 messiah : 2007年09月04日 06:00

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