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2007年11月25日
「空気を読むこと」の功罪
いつの頃からか流行りだした略語の1つ、空気の読めない人を称して“KY”。
その場の雰囲気や状況をわきまえずに行動、発言する人を指して、面と向かって「わかってないなあ。この場の状況が」と言わずに「KYだね」と一言。
発信側も受信側も、想像をふくらませないと意味が伝わらないかなりレンジの広い省略語です。(元来、省略語は発音が便利というだけではなく、そこに風刺、皮肉の感情が込められているものですが)
日本語をアルファベット2文字に変換するという珍しいスタイルが受けてか、今年の流行語大賞の候補として挙がっています。
さて、自分から見ると“KY”な人を時々みかけますが、それは自分ならその時どうするかを考えて比較して、相手を“KY”と判定しているのです。
もしかすると、自分も人から見てかなり“KY”だったりする(かも知れない)
そこで自己診断。
『空気読み力テスト』(socioarc)をやってみました。
いくつかの設問に答えて最後に「判定」をクリックすると、
「文脈理解力」「人間洞察力」「会話柔軟力」「TPO力」「空気支配力」の5要素をレーダーチャートにして表示してくれます。
今まで延べ約50万人が利用し、多くのブログなどで結果を掲載されるなどして評判のようです。
やってみました。(オー意外と高得点)
でも、これって...空気が読めることって喜んでいいことなのか。空気が読めることがマイナスにはならないのかと...
「空気の研究」の著者・山本七平は次のように述べています。
人は、何かを把握したとき、 今まで自己を拘束していたものを逆に自分で拘束し得て、 すでに別の位置へと一歩進んでいるのである。 人が「空気」を本当に把握し得たとき、 その人は空気の拘束から脱却している。 |
空気が読めないとその先へは進めない。
がしかし、その空気に一方的に流される事だけはないようにしたいものです。
投稿者 messiah : 2007年11月25日 20:41
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