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2005年02月16日

赤チンは今何処に?

今朝、台所で足の踵(かかと)を爪楊枝で刺してしまい、先端が5mmほど垂直に足に食い込みました。スリッパは履いていました。そのスリッパの裏で、横にお休みになっていた爪楊枝を抱き起こして空間に垂直に立て、ここしかないという絶対のタイミングで倒れようとする爪楊枝の先端を踵で押さえて固定し、上から体重をかけてしまったのです。奇跡の足技でした。
幸い踵は皮膚が厚いので中にまで深くは到らず出血も少なかった。すぐに消毒液を塗りましたが、私の子供の頃はこんな場合は赤チンかヨーチンと相場が決まっていました。その赤チンですが最近見かけなくなりました。どこへ行ったのでしょうか?

赤チンは「赤いヨードチンキ」の意味で、同じ殺菌・消毒の目的で使われる希ヨードチンキが茶色なのに対して色が赤いことから赤チンと言われたようです。1919年に開発され、家庭の常備薬の一つとして広く使われていたが、製造工程で水銀が発生することから、日本では1973年頃に製造が中止され、アメリカでも1990年頃に販売が中止されています。その代替品として出ているのが「マキロン」です。

この赤チンに関して、あるサイトで実に懐かしい、時代の香り漂うメッセージを発見しました。ここに紹介させて頂きます。



昭和四五年ころ、軍艦マーチのメロディーで「ABCD階段で、カニにチンポコ挟まれた…」と始まる替え歌が、千葉では流行っていた。この一節に「赤チン塗ったら真っ赤ッか」ということばがあった。マーキュロクロム液当時は、傷薬といえば赤チン。半ズボンを履いたチビッ子たちは、膝頭を真っ赤にして空き地を走りまわっていた。水銀が入っていたせいだろうか、傷口は夕陽を浴びると、キラキラと金属色に反射していた。私は小学校では六年間保健係であった。怪我をした同級生を保健室に連れていくのが主な役目だ。だが、あいにく養護の先生がいない時、わたしはニヤリと笑う。保健室に用意された道具で、手当をするのだ。保健の先生は簡単な怪我なら子どもたちに手当をまかせていた。限りなく本物に近いお医者さんごっこは楽しい。私は怪我マニアで、自分のちょっとしたけがでも大袈裟に包帯を巻くのが大好きな子供だった。図書館で「包帯の巻き方」なんて本を借りて、解けにくい巻き方を研究したりするマニアック少年であった。
 友人をモルモットに治療は行われた。まず傷口をオキシフルが染み込んだ丸い綿球で洗った。血と混ざりあった濁った泡が沢山でる。コーラみたい。しみて痛がる友人をよそに、私はすりガラスでできた丸いフタを開け、赤チンをつける。この赤チンも丸い綿球であった。これは服につくと厄介なので、ギュウギュウ強くピンセットで挟み、余分な液をしたたり落としておく。赤チンをつけた後、ホントは黄色いアクリノールをつけたガーゼを当て、油紙の上から包帯を巻きたいところだが、いろんな薬をつけてはマズイだろうという抑制が働いてやめる。「もうこれでいいよう」と逃げの態勢に入っている同級生患者を無理に丸イスに座らせ、白いガーゼをあて、バンソウコウで「井」の字で固定。これがいつものパターンであった。しかしその赤チンも五年生ころにはなくなり、ラッキョウ型のマキロンに代わった。スプレーで、傷口に噴射すればよい。私は職を失った……。

まぼろしチャンネルこちらより

「赤チンはもう世の中から消えたのかなあ」と実家の母に言うと、薬箱から一直線に取り出して「これ、塗りなさい」と当たり前のように私に差し出したのでした。昭和一桁生まれの母にとって赤チンは生活の一部。マキロンで消毒した上にさらに無理やり赤チンを塗らされました。製造も販売もしていないが、家庭の薬箱の奥でいつ来るかわからない出番を待っている赤チンはまだまだ世の中にたくさんありそうです。

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実家の薬箱にあった赤チン

投稿者 messiah : 2005年02月16日 11:48

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